角館町 青柳家〜驚きの武家屋敷   (h25/12/9、h26/1/8)

ほとんど地名さえ知らなかった街だが、数年前偶然訪れて感嘆した。
場所は田沢湖の近く日本海からかなり入った所。言うのもなんだけど、なんとなく意識から外れてるような場所。

感嘆したといっても、「武家」屋敷だから、というわけではなく、明治以降の旺盛な文化吸収欲に対してである。
おそらく武家屋敷としては地方にありふれた規模、建物であるだろうと思う。それほど広いわけでも、珍しい建物があるわけでもない。ごくごく普通の家屋が並んでるだけ。

(右は角館の領主佐竹義明が京都三条西家から妻を迎えた時に植えられた桜だとか)

(左は中庭で、青柳家九代の正起が奥羽の山野で採集した植物など600種が植えられているらしい)






しかし所蔵品が凄かった。江戸時代のものも当然あったが、19世紀から20世紀にかけての当時の最先端品が大量に並んでいた。

右は草創期の小型カメラ。カメラ一台、家一軒とか言われた時代。中央とその向かって右にあるのはライカの初期型だろう。レンズはズマロン35mmとかだろうか。その他、ローライ?の二眼レフ、いわゆるスプリングカメラ、一時期流行ったというステレオカメラ(立体視出来る写真が撮れるカメラ)もある。



また、初期のレコードプレーヤーである、蝋管式蓄音機が何台もあったのには驚いた。左は中でも彩色の非常に綺麗な物。こういうのが何台もあるんだから凄い。
エジソンが作ったこの方式のものは、後に円盤式に押されて、20世紀になると廃れてしまう。明治当時だと当然輸入品だろうし、相当高額だっただろう。





左はそのソフト。この頃から、名称はレコードだったらしい。











勿論円盤式のも大量にあった。

左は円盤式のソフト。置いてあるプレーヤーは蝋管式のようだが。

立てかけてあるのは、デュークエリントン、左端の後ろ姿の指揮者はカラヤンのよう。この辺りにおいてあるのはLPレコードのようだけど。棚の中の箱入りがSPレコードか。






青柳家は元々は茨城の領主佐竹家の下級武士だったらしい。関ヶ原で西軍に属した為に、当主義宣は秋田に移封となり、領地を失った実弟の芦名森重に角館の地を与えた。青柳家はその芦名氏に使えるのだが、後に芦名氏は世継ぎを失ってお家断絶、そこにあらたに佐竹北家の佐竹義隣が領主となって来る。その息子が上の義明。

右は家宝として伝えられて来た鎧兜、「六十二間小星兜萌黄威二枚胴具足」。武田流兜と言われるもので、主君佐竹氏が武田氏と遠縁に当たっていた関係で青柳家に残されたらしい。




青柳家は7代映正の代に、藩の重役である矢野家から妻を娶り出世するのだが、実は矢野家は先祖がキリシタンだったために、あまり表には出れなかったらしい。キリシタンだった名残が刀の鍔に残っていると案内書にあるのだが、写真がなくて分からない。右の写真の右から2枚目のが、クロスの形をしているからそうかもしれない。










戦争関係の遺品も多かった。この家の人の物かどうは不明だが。


秋田に駐屯した第17歩兵連隊は、日露戦争、シベリア出兵、満州事変に参戦した歴戦の部隊だったらしい。満州駐留後、昭和19年フィリピンに送られ、マニラ近辺で激しく戦い、終戦後もゲリラ戦を行って、9月末に解散したという。


青森第5連隊は例の八甲田山死の行軍の遭難部隊。西南戦争、日清日露、シベリア出兵、満州事変と参戦。満州駐留後、やはりフィリピンに送られて、レイテ島での米軍との戦闘で壊滅したとか。




右の勲章が全てこの家のものかどうかは不明。多すぎる気もするが。

さすがにガスマスクとかはギョッとする。












外に出ると、祭にでも使うのか、壇ノ浦での平知盛を描いた曳き山?があった。

平家物語では、「見るべき程のものは見つ」と言って鎧二領を重ね着して海に飛び込んだ事になっているが、後世のフィクションではよく碇を担いだ姿にされている。威圧感のある中々見事なものだと思った。目が怖い(笑)。






周辺は枝垂れ桜の木が多く、しかも満開の頃に当たったらしく綺麗だった。






















(h26/1/8)
角館町 青柳家〜驚きの武家屋敷