映画「レマゲン鉄橋(The Bridge at Remagen)」と実際の戦い
 
      
 (09/8/25~10/12/18更新、写真追加、11/02/07更新、事実関係、11/06/14更新、写真、記事修正など、11/08/23、12/2/12,15記事追加)

・・画像を、「レマゲン鉄橋」(20世紀フォックス、カラー画像)と記録フィルムをまとめた「20世紀のドキュメント・運命のレマゲン鉄橋」(CBS、白黒画像)から取っています・・画像について


1.この映画について
2.あらすじ、配役・・・省略
3.映画の役と実際の将兵との対応関係
4.この戦いの背景の戦況
5.実際の戦いの経緯
6.戦いの後
7.関係した人物達のその後

※ 各種補足(11/8/23更新)
    本部の位置について      戦いの結末部について      ティンマーマン少尉に関するこぼれ話
    フォンボトマー少将について      ジョントーランド『最後の百日』での説明
    名前の表記について      記録フィルムについて

※ レマゲン関連本2冊の紹介(2011/02/07)


1.この映画について

戦争映画の中でも傑作と言われてる映画ですね。
第二次大戦末期、ライン川の向こうへ逃げ込むドイツ軍を捕捉しようと、川沿いの道路を疾駆する米戦車部隊、
対岸に陣取るドイツ側援護部隊との間に突如始まる砲撃戦、
その先の鉄橋には、貨車に一杯のドイツ軍傷病兵を乗せた列車がさしかかっていて・・・

いわゆる「つかみ」は最高ですね。気持ちよくツボを押さえてくれています。




各種エピソードも印象的です。

レマゲンの街を制圧した米軍に対して、白旗を出していた建物から、ドイツの若者(ヒトラーユーゲント隊員)が我慢できずに発砲して反撃・射殺されるのとか。
自分もその年代だったらそうしたかもしれない、と思わせます。

あの若い役者も、思い詰めた若者の雰囲気を良く出しているかと。

その前の陶器を割るシーン、ドイツ軍兵士のいる農家を襲う場面、処刑の場面など。


まあ、ただ余計な話も付け加わってる印象はありますが。囚人となっていたフランス人女性の件とか。
なんであの無人の刑務所に一人でいたの???
しかも突然脱ぐし。
大人の事情ですかねえ・・・だけど逃げるだろう普通。

また、あの橋を奪取した部隊の人間関係も錯綜気味で、今一つ把握できない面があります(私だけかな)。
ヘルメットをかぶらない奴がいたりして(しかもほとんど主人公)・・・それはないだろう、いくらなんでも。朝鮮戦争の中共軍じゃあるまいし(本当の「人間の盾」)。
ちょっとあのアンジェロ役が好きにやってしまってるような印象がします。そのためにハートマン中尉達の影が薄れてるような。

大筋は確固とした史実を踏まえ、それにフィクションを縫い合わせているわけですが、
フィクション部分がちょっと目に付きすぎ、しかもあまり上手く行ってないと感じさせる映画です。

ただ、傷病兵など兵士達の表情とか、老人子供の寄せ集め部隊の状況、避難する民衆の姿、砲撃戦や白兵戦などのリアリティが素晴らしく、やはり良い映画だと言えるのではないかと。
ドイツ軍兵士も米軍兵士と同様、あるいはそれ以上に勇敢に描いている点も好感の持てるところです。




セリフでは(日本語部分は独自訳)、
最後の処刑の場面、爆音で空を見上げて、

クリューガー少佐  "Whose?"                    どこの部隊か?
処刑隊将校、      "Enemy planes, Major."   敵機です、少佐。
クリューガー少佐 "But who is the enemy?" しかし、本当の敵は一体誰なのだ?

上から見下ろすショットが印象的です。



第15軍を見殺しにしても橋を爆破せよと元帥が迫る場面、

シュターマー元帥
(中央右)
          "Hitler has ordered that not one foot of our sacred soil
            will be yielded to the enemy.

     ヒトラー総統は、我らが聖なる土地をたったの1フィートも
          敵の手に渡すなと命令されたのだ。

フォンブロック将軍
(正面、副官達の表情も良い)
         "Herr Feldmarschall, if orders won wars, we wouldn't now be fighting
           with our backs against the Rhine, we'd be dancing at the London Savoy!

     元帥閣下、命令で戦争に勝てるのなら、今頃ライン川を背にして戦ってないで、
           ロンドンのサボイ劇場で踊ってますよ!

サボイというのは、コミックオペラを上演した劇場のこと。



クリューガー少佐
(右側)がトンネル内で逃亡兵二人を射殺、
それに抗議して詰め寄るシュミット大尉


シュミット大尉     "They say the dying animals bite at their own wounds.
              Now we are killing our own people.”
クリューガー少佐 "Come.We must attack."
シュミット大尉     "It's useless.These men are not going to die for nothing.
                        You have killed two men.Are you going to try to kill us all?"
クリューガー少佐 "It's our duty."
シュミット大尉     "Your duty and mine is ・・・・・・・to these people."

撮影はチェコで取り壊し予定の橋を使って行われ、実際に橋や街を爆破したらしい。68年チェコ動乱のあった年の撮影で、丁度その事件に遭遇し、スタッフ一同バスで逃げたとか。



2.あら筋、配役


省略。どこかのHPを見て下さい(笑)




3.映画の役と実際の将兵との対応関係


以下、左が映画の中の役、右が実史での名前と、地位、階級。
☆印は役柄と実際の人物の役割、行動がほぼ一致するもの、
?印は立場的にのみ相当すると思われるもの、
無印はその中間、役割は相当するが行動が必ずしも一致しないもの。

アメリカ側

シンナー准将・・・・☆ホージ准将(William M. Hoge、第9装甲師団、コマンド部隊B指揮官)
バーンズ少佐・・・・?エンゲマン中佐(Leonard E. Engeman、コマンド部隊B、左翼支隊指揮官)
                         ?ディーバーズ少佐(Murray Deevers、コマンド部隊B、 第27装甲歩兵大隊大隊長)
ハートマン中尉・・・☆ティンマーマン少尉(Karl Timmermann、第27装甲歩兵大隊A中隊指揮官)
コルト大尉・・・・・・・・クリーナー大尉(Frederick Kriner A中隊前任指揮官)
アンジェロ軍曹・・・・・架空の人物、あえていえば、
                         ?デリシオ軍曹(Joseph Delisio、A中隊、第3小隊指揮官、多分この人をもとに造形)
                         ?ドラビク軍曹(Alex Drabik、第3小隊、分隊リーダー)
(右上、橋を最初に渡ったドラビク軍曹。朴訥な兵士でアンジェロとは全く違うが)

ドイツ側

フォンシュターマー元帥・・モーデル元帥(Walter Model、
                          B軍集団司令官)
フォンブロック将軍・・・・?ヒッツフェルト中将(Otto Hitsfeld、
                B軍集団、第15軍、第67軍団司令官)
            or・・?フォンボトマー少将(von Bothmer、ボン地区防衛司令官)
クリューガー少佐・・・・・・☆シェラー少佐(Hans Sheller、ヒッツフェルト中将の副官)
シュミット大尉・・・・・・・・・☆ブラトゲ大尉(Willi Bratge、レマゲン鉄橋守備隊指揮官)
バウマン大尉・・・・・・・・・☆フリーゼンハーン工兵大尉(Carl Friesenhahn、レマゲン鉄橋管理部隊、工兵中隊指揮官)
爆弾に点火した兵士・・・☆ファウスト伍長(Anton Faust、工兵中隊)

(右上、左からシュミット大尉、バウマン大尉、クリューガー少佐)
(右、戦後十数年?のブラトゲ大尉本人、レマゲン橋のたもと、背後に2つの塔が見える)




ドイツ側は、フォンブロック将軍以外は、ほぼ戦史に忠実に描かれています。

レマゲン失陥のあと解任された将軍は、ヒッツフェルト中将の前任の、僅か数時間レマゲン地区担当になっただけのフォンボトマー少将と、モーデル元帥の上司、ルントシュテット元帥。

ボトマー少将は軍事裁判で5年の刑を受け、自殺したらしい(ネットにもあまり情報が無い)。シェラー少佐はクリューガー少佐のように、数週間前に退院したばかり。

橋の爆破辺りの経緯も大体この映画の通り。

米側はフィクション化されています。アメリカ映画定番の、無能な上司に有能で勇敢な部下。いつもこれ。そして、規律を平気で破る破天荒なメンバーが一人。

制作当時だと、関係した将兵達も存命だったろうから、もう少しまじめに作っても良かったと思うけれど、ドラマとして維持できないということだったのか。あるいは関係者が多すぎたので、わざと外した物語を作ったのか。
ティンマーマン小尉は、前任のクリーナー大尉が、映画のコルト大尉同様、この作戦の直前にジープに乗ってて負傷死亡したため、6日に中隊長になったばかり。

(右は、バーンズ少佐の腕を蹴り上げるアンジェロ軍曹、場所は橋のたもとの爆発で開いた大穴、左は実際にあったその大穴を通って行く兵士)

また、映画でバーンズ少佐は第27装甲歩兵大隊指揮官とされてるが、それに相当するのはディーバース少佐。実際橋の爆破前に、ティンマーマン少尉達に渡河を命じており、下級兵士に抵抗されている。

エンゲマン中佐は第14戦車大隊指揮官かつコマンド部隊の支隊長で、この集団のリーダー。
(階級はなるべくこの時期のものにしましたので、通常言われる階級とは違ってる場合があります。)


4.この戦いの背景の戦況

1944年6月にノルマンディー上陸、8月にパリを流れるセーヌ川以西を占領した連合軍は、翌年3月にようやくライン川に到達。
ドイツ降伏まであと2ヶ月という時点。
途中、マーケットガーデン作戦の失敗(9月、映画「遠すぎた橋」)、ドイツ側の「ラインの守り」作戦による逆襲(12月~1月、映画「バルジ大作戦」)などあって必ずしも順調ではなかった。
ソ連軍の方がはるかにベルリンに近づいていた。

下流のオランダ近辺を、
第21軍集団(「方面軍」とも言う、モンゴメリー指揮、カナダ第1軍、英第2軍、米第9軍)、

中流のベルギー、ルクセンブルグ、ザール方面を、
第12軍集団(ブラッドレー指揮、米第1軍、米第3軍)、

上流のスイス寄りを、第6軍集団(デヴァース指揮、米第7軍、フランス第1軍)が担当し、
同一時期のライン川渡河を目指した。
(一番乗りにはやる部隊を押さえるのと、イギリス軍への気遣いで、総司令官アイゼンハワーは苦労したらしい)

対するドイツ側はそれぞれ連合軍の軍集団に対して、
下流、H軍集団(ブラスコヴィッツ指揮、第25軍、第1降下猟兵軍)
中流 B軍集団(モーデル指揮、第15軍、第5装甲軍)
上流 G軍集団(ハウサー指揮、第1軍、第7軍、第19軍)
全体の西部方面軍指揮は、ルントシュテット元帥。



ドイツ側は、ライン川に掛かる橋を落として連合軍の進撃を阻止しようとした。
ところが、ライン川西側にはまだドイツ軍の将兵が残って戦っており(第15軍、第53・66・67・74の各軍団など)、ドイツ側はその背後のルーデンドルフ橋(Ludendorff Brücke、レマゲン鉄橋の正式な名称)の爆破にはまだ取りかかってはいなかった。

これは、映画では軍上層部の命に背いて現場レベルでの判断のように描かれているが、必ずしもそうでなかったたらしい。むしろ、爆破は厳重に管理されており、敵が8km以内に近づいて、かつ他に方策が無い場合に限り、文書での許可を得てから爆破という段取りだったとか。
レマゲン方面への米軍の侵攻は、ドイツ側も考えてはいなかったようで、米軍の接近に気づいたのも7日当日早朝だった模様。

他の橋では、、デュッセルドルフのオーバーカッセラー橋を米軍が来る直前に爆破(Oberkasseler Brücke、3月2日、
映画の冒頭部、右上)、ケルンでは米軍が街を制圧した後にドイツ部隊が川を渡って、最後に残っていたホーェンツォレルン橋を爆破(Hohenzollern Brücke、6日)。ヴェーゼル(Wesel)でも無傷の橋を発見するが、やはりドイツ側の手によって爆破(3月10日)される。



丁度その時期、ホッジズ中将(Courtney H. Hodges)指揮の米第1軍は、ランバージャック作戦(Operation Lumberjack)を発動、ライン川西岸からドイツ軍を一掃し、近辺の主要な戦略拠点(ケルン、ボン、レマゲンなど)を押さえようとしていた。

映画の最初の方の疾走する戦車部隊がその様子を表している。
ただ、映画ではM24軽戦車チャーフィーばかりがでているが、問題のレマゲン鉄橋を制圧した第9装甲師団は、M24は所有していなかった。

長砲身のM26パーシング戦車が20台?、M4シャーマンが191台、M5軽戦車が82台だとか。
他に記録フィルムにはM10とM18、M36の駆逐戦車が見えるが、第9装甲師団のものかどうか不明。
(右、上から、M5軽戦車、レマゲン鉄橋を背にしてM36駆逐戦車、記録フィルムの中にはM26とはっきり分かるものが見あたらないが、背後から撮った3番目のものがそうかもしれない)

ちなみにパーシング戦車は、ドイツ戦車に対抗できる米軍の初めての戦車。
口径90mmの長砲身を搭載していて、タイガー戦車の装甲をを撃ち抜くことができた。

それまでのシャーマン戦車では、ドイツのパンサー、タイガーに歯が立たず、米軍内ではタイガー戦車恐怖症が蔓延っていたとか。終戦間際だったので投入された数はそれほど多くなかったが、この戦いでも実際に使用され頼りにされたらしい。

レマゲン橋を発見、奪取したのは、この第1軍の第9装甲師団(レナード少将、John W. Leonard)。この師団は、各拠点制圧の為に、歩兵、戦車、偵察、工兵などそれぞれ小隊~大隊からなる混成のコマンド部隊を3隊編成、そのうちコマンド部隊B(ホージ准将指揮)の左翼の一隊(エンゲマン中佐指揮)が発見、奪取することに。



ドイツ側では、相次ぐ敗戦の混乱とヒトラーの暗殺への疑心暗鬼で、人事が混乱を極めていた。

3月1日 ボッシュ少将(Walter Botsh、第18国民擲弾兵師団司令官)がこの地区の担当になり、現地を視察して増援を請求するが、モーデルは拒否。米軍の主攻勢をボン方面だと見ていたらしい。

ボッシュは6日に橋への爆薬の設置を命令するが、避難する民衆や撤退する兵士で橋が混雑してたため、設置に翌日までかかることに。これも映画の通り。

しかも、6日夕、ボッシュは第53軍団長へ転任(前任司令官が米軍の捕虜になったため)、ボン地区防衛司令官のボトマー少将にレマゲン地区の防衛も兼任せよとの指示、ところが、そのわずか数時間後の7日の午前1時に、更に変更されて第67軍団のヒッツフェルト将軍が、この地区担当を指示される。

ヒッツフェルトは自分で視察する時間が無かったため、副官のシェラー少佐を派遣することに。映画の中での「正式な命令は出せないが」というセリフに状況の一端が現れている。その際、彼の第67軍団を無事に撤退させてくれるよう要望したらしい。少佐は、午前2時半に出発、騎士十字章所有の有能な少佐だったとか。

ところが、やはり道が混んでたのと、司令部から遠かったために橋に到着したのは同日(爆破当日)の7日朝11時。しかも同時に出発したはずの通信班は混雑で引き返していて、本部との通信が取れない状態になっていた。



橋を防衛していたのは、フリーゼンハーン大尉率いる工兵中隊120名と、ブラトゲ大尉指揮の中隊36名、共に傷病による治療中の兵士で編成されていた(治療が終わると原隊に復帰)。
(映画でもそれらしいシーンが出てきます。左上、ただの負傷兵かもしれないが、雰囲気が出てる(^_^;)
ブラトゲ大尉は、ポーランド、フランス、ロシアの戦いに参加、戦傷で除隊して学校の先生をしてたとか、これも映画と同じ。

前日まで高射砲部隊がトンネルの上の丘にいたが、橋奪取の当日はどこかへ撤退していた(-.-)。
指揮系統が違うので(空軍管轄)、ブラトゲ大尉は知らなかった模様。
映画では米軍側戦車隊と高射砲で砲撃戦を交わしたり、爆撃に来た米軍機(B25)を迎撃しているが、観客に対する一種のサービスというのか、実際には無かった

残されていたのは、20mmと37mmの機関砲とレマゲンの街に150名のヒトラーユーゲント(映画に出てくる青年が所属したものでしょう)、老人、子供の寄せ集めの国民突撃隊のみ
(左、レマゲン降伏時のもの)

橋を通って撤退してくる兵士を止めて戦うように説得しても無駄だったとか。
ドイツ軍兵士の士気は衰えきっていた。
全体の指揮はブラトゲ大尉がとり、フリーゼンハーン大尉は6日から7日午後までかかって爆弾と導火線を橋に設置するが、映画の通り低質な火薬でしかも足りなかったらしい。

10時半頃、米第1軍の偵察機が、レマゲン橋が無事なのを発見、師団本部がコマンド部隊Bに奪取を命令



5.実際の戦いの経緯


7日の昼1時頃、エンゲマン中佐の率いる一隊は、レマゲンの街の背後の丘に到達、無傷の橋を確認。
1時過ぎから3時にかけて、戦車部隊に援護されて、ティンマーマン少尉の率いる歩兵A中隊がレマゲンの街を制圧。
2時頃、橋への侵入阻止の為に仕掛けられていた爆弾が爆発、軍側の橋のたもとに大穴が開く。
3時過ぎから橋の確保を試みる。

ドイツ側では、3時15分頃シェラー少佐が橋全体の爆破を命令(シェラー少佐はヒッツフェルト中将から爆破の許可は得ていた)。民間人避難者にフリーゼンハーン大尉が耳をふさいで体を伏せるように指示。
映画ではクリューガー少佐が爆破の前に言っている。
フリーゼンハーンが爆破のハンドルを回すが、配線が切断されていたため爆発は起こらず。

それで、志願を募って、直接点火を行うことに。ファウスト伍長が志願し、発火用火薬に点火し橋全体が爆風に包まれる
(左上、映画での爆発.。右はその時のドイツ側指揮官達。左端はベッカー軍曹?。良いショットですね。演技とは思えない)
しかし、爆発力の弱い工業用火薬のせいで橋は崩壊せず、通過可能状態に。これも映画の通り。

一説では、ドイツ側にポーランドの召集労働者がいて、レジスタンスの意味で密かに点火用のヒューズを抜いていた、という話も。戦後ブラトゲ達は強く否定したが。

映画でもポーランド兵に関するセリフがあって、通信機の配線が切断されてたのを、ポーランド兵の仕業だと見て、
バウマン大尉 "It's these dammed Poles.We should kill them all."「ポーランドのクソどもがやったんだ、皆殺しにしろ!」


それより前ホージ准将は敵の捕虜から4時に爆破の予定と聞き、爆破の前に渡ろうということで、渡河の指示を出していた。ティンマーマン達が渡る準備をしていたとき爆発が起きた。映画ではその爆破の前から渡り始めているが、それは無かったようだ。

映画では、バーンズ少佐がその危険な渡河をやらせようとしたために、ハートマン中尉が拒否、銃で脅したバーンズをアンジェロ軍曹が蹴って倒すということに。アンジェロをかばう為にハートマン以下指示に従い、導火線を切りながら橋を進む。ドイツ側が直接点火したのを見て避難を始め、その途中で爆発、ハートマンは気を失うというドラマチックな展開に。
(左上は爆破が起こる前に導火線を切るアンジェロ軍曹、危なすぎ)

実戦でも一部の兵士が拒否、ディーバース少佐に抗議したらしい。陸軍関係の文書には見えないが。で、爆発後、再度の爆発の恐怖に怯えながら、未発火の爆薬を見つけてはライン川に投げ捨てて前進。
(右上、橋の確保に乗り出す兵士達、左下、実際に導火線切断の作業をしたのは工兵、右下、エルペルの丘を登る兵士)

対岸のトンネルや橋のたもとにある二つの塔からの射撃をかいくぐって、いくつかの分隊が強行突破していき、二つの塔を攻略。そして、ドラビク軍曹が率いる分隊が対岸に到達、左側に回ってエルペル(Erpel)の街中に入り足場を確保。他の分隊は右手の丘(Erpeler Ley)を攻略、上る途中にかなりの犠牲者を出して、suicide hill と呼ばれたとか。さらにこの丘の反対側にトンネルのもう一方の出口があってそこも押さえた。

第二小隊を率いてこの丘を登ったバロウズ少尉(Emmett J. Burrows)、
"Taking Remagen and crossing the bridge were a breeze compared with climbing that hill"「あの丘を登るのに比べたら、レマゲンの街を奪ったり橋を渡ったりするのは、そよ風のようなものだった。」
このあたりは映画では完全にカット。

また橋のそばにハシケがあって、そこからの狙撃も実際あったが、映画のように近くまで小舟で行って手榴弾で倒したわけではなく、戦車砲で破壊された(まあ、それはそうだろう)。



そして、5時過ぎトンネル内のブラトゲ大尉とフリーゼンハーン大尉の部隊が降伏。橋は米軍が確保。
映画のように、夜まで続いたというわけではなかった。
そして徹夜での修理復旧作業で翌日には戦車が通行可能に
(右、工兵とは辛いものらしい)

映画では、夜の内に戦車がトンネルの入り口まで迫り、それをみてドイツ側が降伏したように描かれてるが、実際は翌日未明まで通れなかった
(右下写真、戦車の間を通って投降するドイツ市民、左下写真の左側は生徒を励ますシュミット大尉、右側はハートマン中尉)。

降伏したのは、避難民が白旗を掲げて米軍側に勝手に出て行き始めたから。トンネルの反対側出口を米軍が押さえたのも効いたらしい。







また、奪取の直前、シェラー少佐は映画のようにトンネルを抜け出して本部に戻った。ただし、ブラトゲ大尉に何も言わずに、自転車に乗って。通信機が手元に無かったために、直接本部に橋が敵の手に落ちたことを知らせようとした(映画では、ポーランド兵に通信機が壊されたので)。

結局レマゲン滞在は僅か半日、しかし決定的な瞬間に居合わせてしまった・・・・・

道路渋滞を考えて自転車で。しかし軍団本部までは、数十キロもあってしかも本部が移動していたため、たどり着くのに3日もかかり(10日着)、そして結果は銃殺という悲惨なことに。

映画でも軍のトラックに便乗したような感じで、軍帽もかぶらず、疲れ切った顔で到着している
(右、既にSSが乗り込んでる本部に到着)

全体として、ドラマ性を高めたり、状況を整理するための改変(フォンブロック将軍の設定など)はあるが、橋やドイツ軍側については、かなり忠実に作られているように思われる。
米軍側はドラマ性に走りすぎて、しかもあまり効果を発揮しなかったように思える。特にハートマン中尉とアンジェロ軍曹の関係。




6.戦いの後


レマゲン橋を奪取した米軍は、対岸に橋頭堡を築くと同時に、橋を挟んで仮設橋を2本、二日程度で設置した。この橋だけでは殺到する米軍部隊を処理できなかったと。
(右、橋を渡る米軍兵士と車両、下左は仮設橋の設置作業、下右は仮設橋を渡る歩兵部隊)










レマゲン橋のたもとの塔には、”第9装甲師団のお陰で足を濡らさずにライン川を渡る”という有名な標示板が。
"CROSS THE RHINE WITH DRY FEET COURTESY OF 9TH ARMD DIVI."
(右下の2枚、上の写真の白い長方形もそれ)

一方、ドイツ側はこの橋を落とそうとやっきになり、最新鋭のジェット爆撃機Ar234を投入したり、フロッグマンチームも出動させて爆破しようとしたり、上流から機雷を流したり(米軍が狙撃して処理)。
17センチ列車砲や54センチ臼砲装備の自走砲カールでの攻撃もあったらしい。

最終兵器の弾道ミサイルV2も投入。11発中、命中弾は無かったが、橋近くに落ちたのが8発。これは立派なスコアだと思う。史上初の弾道ミサイルとしては。ロンドン市に比べれば遙かに小さな目標ではあるし。発射地点をハーグ近辺のオランダ領内だとすると、ロンドンまでの距離とレマゲンまでの距離は大体同じ程度。またマッハ4で激突するので、至近弾でも効果はあったらしい。
記録フィルムでは、ロケット戦闘機Me163やジェット戦闘機Me262らしいものも出てくる(レマゲン上空での映像かどうか不明)。
結局、膨大な交通量や各種爆撃で痛んでいたため、V2の至近弾があった17日に橋は崩壊、米軍工兵28名を道連れに
(右下2枚)
ドイツ側から橋への攻撃の詳細は、レマゲン関連本2冊の紹介へ。

その時点では仮設橋はあるし、上流のパットン将軍の第3軍や、下流のモンゴメリー将軍担当の区域でも、数日後にはライン川渡河を果たすので、橋の崩壊の影響は大したことはなかった。
ただ、橋を連合軍が奪ったことの心理的な影響はドイツ側、それに連合国側にとっても甚大なものがあったという。
アイゼンハワーの側近、スミス中将の言葉、"It was worth its weight in gold."「橋は同じ重さの金の価値があった」。

ちなみに、パットンの下でこのときラインを渡った第4装甲師団の師団長は、ホージ少将。レマゲンを奪取したコマンド部隊Bの指揮官が、その功績で昇進して少将・師団長になり、レマゲンの僅か2週間後に再びラインを渡ることに。

また、ヒトラーがラインでの防御に拘ったのはまた別の理由があって、ライン川で英米軍を堰き止めておけば、英米との間に休戦が成立して、一緒になってソ連に当たれるという期待があったとのこと。英米側のソ連との会談の経過からみて、あり得ない話しなのだが(しかしパットン将軍は反共だから乗ったかも)。

ヒトラーももう少し敵を選ぶべきだった、ということですね。


 



7.関係した人物達のその後


ティンマーマン少尉とドラビク軍曹、それに最初に橋を渡り始めた第1小隊隊長のチンチャー軍曹、爆発物を処理した工兵部隊隊長のモット少尉は、米陸軍の上から2番目、実質的には最上位の殊勲十字章を受賞。部隊全体も勲章受賞。

一方、ドイツ側では、レマゲン鉄橋の防衛や爆破に関わった将校5人が責任を問われ、臨時軍事法廷で死刑判決、直ちに13日までに4人が処刑。それも映画のように形式に則ったものでなく、森の中に連れていかれて、後頭部を撃たれて殺された。
残りの一人、ブラトゲ大尉だけが捕虜になっていたため死を免れ、戦後は教師に戻る。
フリーゼンハーン大尉は、上司のクラフト少佐が訴追されため、責任を免れたらしい。やはり捕虜になって、戦後は体育クラブを経営してたとか。
ルントシュテット元帥、ボトマー少将は解任、後者は自殺。

シェラー少佐以外の処刑者は、クラフト少佐(August Kraft)、シュトローベル少佐(Herbert Strobel)、ペータース中尉(Karl Peters)。

シュトローベル少佐(この方面の工兵部隊連隊長)とクラフト少佐(同大隊長)は、橋を奪われたあと、橋の近くにいて奪回を命じられたのにできなかったことが理由。まだ戦車は通行できない状態だったから奪回できたはずだと判断されたらしい。しかし手元には僅かな工兵しかいなくて、戦ってはみたが無理だったという。しかも、翌日には米軍戦車が渡河しているので、持ち時間は一晩しか無かった。また実際には、3個中隊が直ちに渡河、橋奪取後24時間以内に戦車部隊を含め8千人が渡河したという。
それで死刑だったら、負け戦の将軍達は全員死刑だろう。上位者の責任転嫁の犠牲になった。クラフト少佐は裁判への抗議とフリーゼンハーン大尉をかばう為に終始無言であったという。

赴任直後に米軍の攻撃に遭遇したシェラー少佐も災難だったが、米軍橋頭堡への攻撃を突然命じられて敗退、それで処刑された工兵部隊指揮官も憐れというしかない。工兵連隊といっても、各地に分散していて、僅かな戦力しか無かった。他の正規部隊も道路の混雑などで、来るのに数日かかっている。 しかもこの当時の工兵部隊の主要な任務は、西岸の第15軍10万近くの軍勢が東岸へ渡河出来るよう、ボートなどを手配し助けることだった。これについては、橋頭堡への攻撃とどちらを優先するかについて、互いに矛盾する命令が上部から出てたらしい。

(右は、おそらくエイペルの町で、米軍部隊に攻撃されて炎上するドイツ軍パンサー戦車)
(
追記h25/11/21 youtubeの9:20の映像を見ると、これはケルンでの戦闘の模様)
tuiki

ペータース中尉は橋近辺の対空ロケット部隊(秘密兵器)の臨時の指揮官で、その兵器を敵に取られないようにする措置が不十分だったことと、部隊全員が無事に渡るまで橋の爆破を延期してくれるよう頼んだことが理由らしい。まだ20代の将校で、法廷では何も抗弁できなかったとか。

軍事法廷の審理はきわめていい加減で、ヒトラーに生け贄を捧げるものでしかなかった。まさに血に飢えた神。

一番の責任は、増援部隊の派遣を拒否したモーデル元帥にあるはずだが、お咎めなし(ただし、敗戦間際に自決)。

レマゲンを巡って、それぞれの部署で最前を尽くしたであろう将校達が、そのわずか数日後には処刑されてしまうわけです。
正に、Who is the enemy? 状態ですね。
気分が悪くなる結果です。

なお、シェラー少佐の妻が、戦後、名誉回復に奔走し、1967年に願いはかなったとのこと。
合掌。

2009/8/25



※ 各種補足

本部の位置について・・・ 映画ではクリューガー大佐が出発した軍の本部は、ラインの東側のまだ戦火が及んでない場所にあって、レマゲンの方が戦線に近かったような描写になっている。レマゲン橋に到着したときも避難民と逆行しているので、東から西に向かっているのが分かる。

が、実際の戦いはこれとは違っていて、シェラー少佐が出発した時、第67軍団本部は、レマゲンの西側50数キロの所にあり、レマゲンは部隊の背後にあった。当時のドイツ第15軍は、殆どが西岸にあって、米軍の第1軍と第3軍に包囲されかけていた。米軍の当初の狙いも、ラインを渡るより先にこの軍を包囲殲滅することだった(ランバージャック作戦)。実際にレマゲンと第67軍団の間には既に米軍が入りかけていた(第9装甲師団)。

そして、シェラー少佐がレマゲン脱出後たどり着いた際の第67軍団の司令部は、ラインの東側、レマゲンとコブレンツの中間辺りで、レマゲンから東南方約20キロほどの、アルトヴィート(Altwied)に移っていた。敗戦の混乱のさ中で、司令部の場所も流動的だっただろうから探すのは大変だっただろう。

彼は一旦は、元の本部があった西岸に向かったのだろうか? 本部を出発してからまだ20時間も経ってないのから多分そうしたに違いない。橋は全て爆破されるか占領されていたわけだから、ボートなど使ったか。軍団本部は飛行機でも使って移動したのだろうか。ちなみにアルトヴィートでは、モーデル元帥が直接シェラー少佐を尋問したらしい。



戦いの結末部について・・・映画ではトンネル前の塹壕で長時間対峙しているが、実際はそれはなかった。ドラビク軍曹が篭もった砲弾跡は橋から200ヤード左に入ったエルペルの街の方。トンネル前の二つの塔と、上の丘(Erpeler Ley)の奪取が戦いのクライマックスになるはずだが、カットされている。これは最初からカットされる予定だったのかどうかは疑問。丘の占拠は勝利を印象付けるのにうってつけなので。おそらく、チェコでの撮影中断と関係あるのだろう。

「浪漫いろいろ映画館」というサイトで、
最後の場面に出てきたM24戦車はその他の場面に出てきた戦車とは、同じM24でも型が違うので、ここだけ別の場所で撮影されたのかもしれない、と指摘さ れている。

そうだとするとチェコ動乱からの避難の影響だろう。その場合、制作期間や経費の関係で結末をはしょった可能性がある。

どうも、あのハートマンが一人で塹壕を出て歩き出すシーンに違和感がある。連載漫画が打ち切られて無理矢理結末を作った時のような違和感。丘の占領というトピックで終わらせる事ができなかったので、ああいう結末にしたのかもしれない。またロケなのに、あのトンネル前の部分はセットのような印象がある(上の方の写真参照)。夜間のシーンにしたのもセットを隠すため? 塹壕での戦いが妙に長いのも、空いた時間を埋めるためかもしれない。



ティンマーマン少尉に関するこぼれ話・・・実は彼の出生地はレマゲン橋に比較的近い、フランクフルトアムマイン。彼の父親(ドイツ系アメリカ人)が第一次大戦 で欧州に出征して、この地域の防衛担当になり、当地のドイツ人女性と結婚して彼は生まれた。その後、父親は妻と子供を連れて米国に帰ったのだが、結婚の際脱走騒ぎを起こしていたらしく、米国の故郷の町では脱走兵扱いされて、ティンマーマンも子供の頃から肩身が狭かったとか。そのため彼は戦場では積極的に戦ったらしい。ちなみにその町はネブラスカ州ウエストポイント(あの有名な士官学校のあるウエストポイントでは無かったー訂正)。映画ではハートマン中尉が橋を渡るのを拒否しているが、実際のティンマーマン少尉は、危険な渡河命令に素直に従って渡ろうとしたらしい(渡河の前に爆発)。

また英雄になって新聞などで大きく報道されたにも関わらず、やはりその町では受け入れられず、その後引っ越したとのこと。同郷の兵士に、あんな橋を奪うことなど大したことではない、などと悪口を言われたらしい。そして朝鮮戦争に出征後、ガンで亡くなった。

何だか、クリントイ ーストウッドの映画「父親たちの星条旗」を思わせる(この映画は私にとって今まで見た中でベスト5に入る傑作。アメリカの虚飾を強引に剥ぎ取ったような映画)。彼は結局、米国内で最も不名誉なものであろう「脱走兵(の息子)」 という烙印と、最大限に名誉なことであろう最高クラスの勲章受章、この二つを背負って生涯を送ったことになる。(右、ナレーションには無いが、右側はティンマーマン少尉、左側はエンゲマン中佐かディーバース少佐だと思われる。襟章に色が付いているように見えるので、少佐(襟章が金色)かもしれない)
ティンマーマンの生涯については、レマゲン関連本2冊の紹介、参照。

付け加えると、大隊指揮官のディーバース少佐は朝鮮戦争従軍中に、1954年、日本で飛行機事故で亡くなった(この年北海道で米軍の48人乗りの輸送機が墜落しているのでそれかもしれない)。デリシオ軍曹は、同じく朝鮮戦争に従軍し、日本駐屯中に日本女性と結婚した。

こういった話は、早川書房から出た「レイマーゲン鉄橋」(ケン・ヘクラー著)に詳しい。橋の奪取の後直ぐに従軍記者が数百人の関係者にインタビューしてま とめた本。兵士が渡河を拒否した話も載っている。戦後直ぐ、ドイツ側のトップ、ゲーリンクやカイテル、ヨードルなどにも会って取材をしたらしい。

ただこの本にある名称「レイマーゲン」が気になるが。ドイツ語での発音ではないと思うので、米国風のなまりなのだろうか(冒頭にそれらしい表記があるが)。この本は訳がちょっと問題ある印 象がある。Hitsfeldを「フィッツフェルト」と表記したりしてるし(一部のページでは「ヒッツフェルト」としていて安定してない)。訳文もおかしなところがある。



フォンボトマー少将について・・・処罰された理由が分からない。数時間で担当を外されてるわけだから何かあったのだろうが、彼はヒッツフェルト同様、直ちに副官を派遣しているので、指令を拒否したわけでもないようだ。ただその副官は橋に行き着けずに米軍に捕まったらしいが、それが解任の理由とも思えない。そんなに早く情報が伝わるはずはないので。当時のドイツ第15軍などは、軍団や師団の司令官が、自分の指揮下の軍の居場所が掴めず、自ら探し歩いていたという悲惨な状況だったらしい。第53軍団の司令官が米軍の捕虜になったのもそういう状況下でのこと。ちなみに、ボトマーが派遣した副官(フォン・ポッペルロイター中佐)は米軍の捕虜収容所で、ブラトゲ大尉と出会ったとか。

09/11/17追記=============

以上を書いた後に、理由が判明。アメリカの軍事関連の掲示板に、これに関係した書き込みがあった。納得できる理由なので多分これでいいのだろう。
ボトマー将軍への処罰は、レマゲンとは直接関係なく、ボンからの撤退に関して下された模様。本来の職務がボンの防衛司令官なのだから当然あり得る話。レマゲン絡みのように伝えられていたので、こちらだと思いこんでしまった。上記の「レイマーゲン鉄橋」もそんな書き方。

以下、その掲示板への書き込みから読み取れることと背景事情ををまとめると、

連合軍の接近に伴い、モーデル元帥はボンのラインを挟んだ東岸に、第11戦車師団の一部を6日夕までに配置した(ボンはライン川西岸にある)。ところが、7日夕にレマゲン橋が奪取されたので、その戦車部隊はレマゲンの東岸にできた米軍の橋頭堡を攻撃しようとその地を離れた。その関係かどうか、ボトマー将軍はボンの守備部隊に東岸への撤退と橋の破壊を命令し(7日)、8日に撤退完了、 9日にボンは米軍(第1師団)に無抵抗で占領されてしまった。ボトマー将軍の下には、第74軍団麾下の3個師団があるはずだったが、実際には抜け殻状態で兵士は600人程度しかいなくて抵抗出来る状態ではなかったらしい。ちなみに、ボトマーがレマゲン担当を外れたのは、6日深夜のことなので、撤退命令とは直接の関係は無い。

一方、ヒトラーは全軍に対して、部隊の移動については司令官や参謀が全責任を負うものとし、事後に処罰されることがあるとの特別服務命令を1月に出していた。以前からヒトラーは死守命令を乱発していたが、今回のは罰則をも含む強いもので、将軍といえども処刑される可能性があるものだった。将軍クラスはおそらくその為に部下に罪を押しつけたのだろう。

ボトマー将軍は戦わずに撤退したため、 これに触れた模様。また、そうすると橋の爆破も許可を得ずに行われたのかもしれない(未確認)。ボトマー将軍は直接命令を発しているので、逃れることはできなかったのだろう。6日夕から深夜にかけての人事のゴタゴタは、ボトマー将軍の対応に問題があったからではなく、米軍のボン方面への接近に対しての右往左往によるものなのだろう。

(推測だが、ボトマーはレマゲンの失陥を聞いて、無駄に抵抗して橋の爆破に失敗するより、早めに撤退して確実に爆破した方がいいと判断したのかもしれない。裁判後の自殺も、主張が聞き届けられなかった事への抗議なのかも。あるいはレマゲンを渡った米軍に背後を遮断されるのを恐れたか。何れにしても、その時点としては悪い判断とは思えないが、撤退したことで何を言おうと認められなかったのだろう)


============以上追記終わり(09/11/17)



ジョントーランド『最後の百日』に以下の説明があった(11/8/23)。

モーデルがレマゲンを軽視した理由・・・レマゲンの対岸は断崖が迫っていて(エルペラーレイ)、道路などが貧弱だから米軍側は狙わないと考えた。
(私見)教科書的な戦術ではそうだろうが、米軍側はどこでも突破口さえあれば入っていこうとしていた。ミッドウエーでの日米の攻撃手法の違いみたいだが、この場合はやはりモーデルのミスだろう。

丘の上の砲兵部隊が撤退した理由・・・南方から迫るパットンの第3軍に対応するためコブレンツ方面に移動した。
(私見)代替の部隊が来たとの記述もあるが不明瞭。海外のサイトにもそれらしい記述がある。

初に無事な橋を発見したのは・・・観測機に乗ったH.ラースン中尉、午前10時半。
(私見)映画などでは地上部隊とされてるが。地上部隊の主観では自分たちが発見したことになるはず。 戦争の記録で必ずしも個々の兵士の見聞が正しくない例か。

橋の奪取は許可されてたのか・・・発見当初は第9装甲師団のレナード少将や、上部の第3軍団司令官ミリキン少将もホージ准将に対して橋の奪取を認めていたが、3時過ぎに撤回されたらしい。パットンの第3軍との合流が優先され、南方に進撃するよう指示された。しかし、ホージはこれを無視、橋の奪取を強行した。
(私見)上部が許可したという記述と、ホージが命令を無視して決断したという矛盾した記述がレマゲン関連の記録などにあるが、事実はそういうことらしい。多分どうせ爆破されるから無駄だと判断したのだろう。もし失敗していたら命令違反で解任されたかもしれない(あるいはそれ以上の措置)。奪取成功後も命令違反がどう処理されるか心配している。何しろブラッドレーでさえ、橋奪取の成功をアイゼンハワーに直ぐに伝える事が出来ず、アイゼンハワー側近の知り合いの参謀にまず話して反応を伺ってから報告している。それほど明かな命令違反だった。

第9装甲師団が独第15軍の背後に入れた理由・・・・ドイツB軍集団の右翼の第5装甲軍が引いてしまい、左翼の第15軍との間に60マイルもの隙間が出来ていた。第15軍司令官のツァンゲンは、何度もモーデルに進言してその穴を埋める形での後退の許可を求めたが、ヒトラー信奉者のモーデルは許可を出さず、その隙をつかれる形になった。ツァンゲンは命令違反を冒して、第67軍団に後退しつつ戦うよう命令したが間に合わなかった。結果最も可能性が薄いと思われていたレマゲンで渡河される事になった。

(私見)要するに、レマゲン鉄橋の前には第15軍の大軍があって米軍は近づく事は出来ず、背後にはエルペラーレイがあるのだから、米軍も特に奪取しようと思わないだろうとモーデルは考え、防衛は傷病兵に任せ、丘の上の高射砲部隊も引き上げさせてしまったということだろう。60マイル=約100キロのギャップといったら相当な幅で、おそらくボンやケルンの正面はがら空きだったのだろう。それでそちらに目を奪われてレマゲンが疎かになってしまった。そこに第9装甲師団が入り込み、たまたま指揮を執っていた剛胆なホージが賭けに出てあっけなく奪われたと。

上にも書いたが、ミッドウエーでのスプルーアンスを思わせる。彼は日本側機動部隊を発見するや直ちに各攻撃部隊を準備ができたものから護衛機も付けずに個別に発進させた為、そのほとんどが日本側の上空直衛機の餌食になって撃墜されてしまう。しかし最後の急降下部隊が雲間から日本艦隊を偶然に、しかも、これ以上無い絶好のタイミングで発見し最後の大逆転をなしとげてしまった。日本側は、戦力の集中というごく真っ当な戦法で行こうとしたが、時期を逃し逆に大敗してしまう。もしその時発見していなければ、日本側の当時としては比類無い強力な戦爆連合によって米側機動部隊はセイロンの英空母部隊のようにやられていただろう。スプルーアンスは逐次攻撃という最悪の攻撃手段を取ったあげく敗れたということで、愚将の汚名を着せられただろう。

しかし、両者ともに、「断じて行えば鬼神もこれを避く」との言葉通りの結果になった。いつもそうなるとは限らないだろうし、そういうやりかたが常に正しいとは思わないが、この場合は当たった。背景には、東西両面に敵を抱え、最小限の部隊で敵の攻撃を凌がなければならないドイツ側の事情、敵主力艦隊を撃滅するのが唯一至上の目的という日本艦隊の行動原理もあっただろうが、米軍側の将兵の状況に即した対応がものを言ったのは間違いない。



以上追記終わり(11/8/23~12/2/12、15)



※ 名前の表記について・・・
Hoge准将の名前は、通常、ホッジと表記されてることが多いようですが(上記の「レイマーゲン鉄橋」でも。「最後の百日」では"ホージ")、英語表記の通則に従えば、o の所は二重母音になって、オゥ、あるいはオーになります。ホッジと読ませるには、Hodgeにするはず(例、lodge、dodgeなど)。
~+母音+子音+eの形では、母音の所は二重母音(あるいは長母音)になります(例、cake、sage、knife、late、logeなど)。児島襄の「ヒトラーの戦い」では、ホージとなっていました。ただ、固有名詞なので、ホッジと読むと言われればそれまでですが。

また、第1軍司令官のHodges中将は、ホッジズと最後は濁音になると思うのですが、ホッジスと清音にしてるケースが多いようです(Googleで検索すると、後者の方が100倍くらい多い)。球団名のYankeesやTigersも、ヤンキーズじゃなくてヤンキース、タイガーズじゃなくてタイガースと、最後は清音[s]で読むのが普通になっています。Carpsのように、sの前が無声音なら清音[s]でいいわけですが、上記の例は全てsの前は母音や有声子音。実際、フィリーズやマリナーズは常に[z]。有声音のあとの複数形sなので、[z]でいいわけですが、なぜ違いが出るのか謎。Hodges中将について本当のところはやはり不明。



※ 記録フィルムについて・・・
「運命のレマゲン鉄橋」はテレビ番組用に記録フィルムをまとめたもので、明らかにレマゲンとは関係の無い映像も混じっています(ドイツの戦意高揚用の映像など。ナチの宣伝映画でよくあるように、高らかに発声するので、ちょっと笑えます)。注意はしましたが、はっきりしないものもあります。ロケット戦闘機Me163のように時期的にあってもよさそうだが、記録に見えないものなど(ジェット戦闘機Me262は、ありました。レマゲン鉄橋関連本2冊の紹介参照。右、上から、ドイツ砲兵の発射シーン、急旋回して上昇するMe262,侵入してくるMe163)
ナレーションではジェット戦闘機と言いながら、Me163を出しているし。あと、このナレーションでは、「軍」と「軍団」、「方面軍(軍集団)」をごっちゃに言っているので、頭が混乱します。


また「欧州旅行記6」で書いたように、旧式のユンカース急降下爆撃機Ju87の映像がしきりに出てきます。これは第二次大戦の象徴のようなものなのでイメージ映像だと思っていたのですが、ドイツの戦法として、鈍足の機体を先に出して高射砲などの注意を引きつけておいて、その隙に高速の機体で攻撃するというのがあったらしく、実際レマゲンでも使われたそうです。



※ 著作権について・・・
映画とテレビ番組から画像を使用していますから、著作権上の問題はあるかと思いますが、あくまで史実と映画の違いを明らかにするのが目的ですので、許可を願います。またたこのサイトはアフィリエイトを含め、一切商用には利用していません。

このサイトの画像、文章のコピーを禁止します。


ご意見・ご感想は→掲示板